塾長
奥平 高広
Okuhira Takahiro
Greeting
「時に海を見よ」という言葉について。
私は、海と山と川に囲まれた自然あふれる田舎に生まれ、
18年間、海を見て育ちました。
海は私の原風景であり、今なお、煌めきの時です。
(残念ながら、卒業した小学校・中学校は廃校になってしまいました。)
その海とは、
ある時は平和であり、ある時は畏れであり、ある時は憧れであり、
ある時は孤独であり、ある時は青春であり、ある時は世界でありました。
かつて、吉田松陰が、坂本竜馬が、
海を見つめながら世界を夢見たように、
私も、海の向こうに飛び出していきたい!
と決めていました。(なぜか東京でしたが。)
それから、一生をかけて臨む仕事として、
教育の世界を選びました。
ところが、日々子どもたちに接していくうちに、
私の中で、ある疑問が、徐々に存在感を増してきました。
抽象的な言い方ですが、今の子どもたちは、
忙しすぎてなのか豊かすぎてなのか、
「海」を見て、将来を夢想していないのではないだろうか?と。
漠然とした危機感に突き動かされるように、
2011年1月、「みらい塾」を立ち上げました。
ところが、4月のスタート準備に明け暮れていた3月11日、あの震災が起きたのです。
スタートを中止しようかとも思いました。
その直後、ある本が出版されたのです。
「時に海を見よ」
埼玉にある立教新座中学・高校の校長である渡辺憲司先生がお書きになった本です。
卒業式が震災のため中止になったため、
高3の卒業生に伝えられなかった言葉を本にされたのです。
「大学に入ることの意味は何か?」
学ぶため?友人を得るため?楽しむため?…
自分が想像していたあらゆる答えは完全に否定されました。
先生曰く、
「誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、『海を見る自由』を得るためなのではないか。」と。
1人孤独になって、現実を直視する自由を得ることではないのか?と。
1人孤独になって、自分が本当にやりたいことは何か、やるべきことは何か、
自分自身に問いかけろということです。
予想外の答えに衝撃を受けました。同時に、感動で打ち震えました。
それがきっかけで、
「4月スタートは中止せず、
今のこの事態に、真正面からぶつかっていこう!」
と覚悟が決まりました。
今、戦争体験の「継承」が問題となってきています。
早晩、戦争や原爆は、誰も見たことがない、
紙の上の「戦争」になり「原爆」になるからです。
それらをいかに次世代に伝えるか。
「継承」とは何なのか?どうあるべきなのか?
1985年ヴァイツゼッカー独連邦大統領の演説
「荒れ野の40年」とも重なってきます。
震災も戦争も、そして憲法・立憲主義も、同じく重要なテーマです。
「継承」が我々大人の世代に現実問題として投げかけられています。
「時に海を見よ。」
この言葉は、立ち止まって現実を直視し、あるべき理想や夢に対し、
今何が足りないのか考え、それを行動に起こせ、と訴えかけています。
それは、自分の原点確認であり、進むべき道を示唆してくれる言葉でもあります。
私にとって一生忘れられない言葉です。
Qualifications and career
鹿児島県阿久根市生まれ。
川内実業高校(現れいめい高校)文理科。一橋大学法学部卒。
小学時代は、山歩き・川遊び、野球と将棋に明け暮れ、
遊びの天才たちに揉まれて育ちました。
(現在は、卒業した小中学校は廃校になってしまいましたが、
なんと、映画の舞台として永遠に記憶に残ることになりました!
有村架純さん主演の「かぞくいろ RAILWAYS」という映画です。
当時、仲間や先輩・後輩たちと遊んでいた、山と川と海、
そして毎日通った校舎・校庭、よくお参りに行った神社がそのまま出てきます。
美しい映像付きのストーリーの中に、
自分の思い出も封印されているので、とても印象的です。)
そんな時、
小学校の担任の先生(故人)と運命の出会い。
先生の私塾(ご自宅)に入塾させて頂きました。
6畳1間の和室に4~5人の生徒。
1回4時間の正座で週2回。
勉強方法だけ教わり、あとは自学自習。
(答え合わせは、先生が解答を読み上げてくださるので、
自分で〇×をつけ、間違えたところを先生と一緒に解くスタイルでした。)
小5から中3までの5年間、自力で解ける快感をみっちり味わわせてもらい、
勉強の面白さと、自分が進みたい道に気づかせてもらいました。
ただ、その間の道のりは全く順調ではありませんでした。
草深き田舎ゆえ、
塾無し・受験情報無し・お金無し・ライバル無し、という完全なリソース不足。
それでもチャレンジ精神だけは旺盛で、
無謀にもラ・サール中学を受験するも、当然ながら不合格。
捲土重来を期し、ラ・サール高校受験するもまたもや不合格。
勉強が楽しい・得意科目がある、
というだけでは受験は突破できないことに、ようやく気付きました。
後が無い追い詰められた状況の中で、
どうすればこのどん底から這い上がれるのか試行錯誤が続く中、
高校1年生の時に、町の本屋さんで、とある本に出会いました。
(「引き寄せられた」といった方が正確かもしれません)
「一流大学をめざして」(橋 昭一著・西北ブックス・絶版)
今にして思えばタイトルがトンガリ過ぎており「どうなんだろう…」とも思いますが、
当時は、すがる思いで一心不乱に読みました。
(クラスメートとも回し読みし、
その後、1人は東大文Ⅰに、1人は熊大医学部に進学しました)
この本は、
著者(当時東大生)の主宰する自習室に集まった都内有名高校在籍生たちが、
独学で東大に合格するまでの記録でした。
一番衝撃を受けたのは、
開成高校や西高といった生徒でも、
朝から晩まで黙々と自習し、半端なく努力を重ねていることでした。
また、大変勇気づけられたことは、
地方の公立高校生でも、
(松山東高校・宮崎大宮高校・湘南高校など)
一定の勉強法で独学すれば、
(いつごろ何をどのように勉強すればよいかetc)
東大・京大に合格できるということでした。
この本に出会ったおかげで、
「学習は、人的物的環境より、意志と方法論が重要である」と悟りました。
(現在は、スマホ1本あれば、リソース不足のハンデはかなりの部分解消できます。
アフリカ諸国や東南アジア諸国からでも、
チャンレジ精神こそあれば不可能なことはありません。
いわんや日本においておや、です!)
高校時代まで過ごした郷里ですが、
「長いもの・強いものには巻かれろ」式の因習的・閉鎖的環境であったため、
正しいと思ったことを主張してもなかなか受け入れられず、
閉塞感を感じることが多々ありました。
(例えば、中学の弁論大会で、
「校則は果たして必要か?」というテーマで発表しましたが、
ほとんど反応はありませんでした(笑))
そういう経緯から、
社会的少数者側を支えられる法律に興味を持ち、
法学部に進学しました。
法律で正義・公平を実現できることに大いに魅力も感じましたが、
大学入学後に始めたアルバイト先の大手進学塾で、
筑駒・開成・駒東・桜蔭・女子学院・慶應中等部、
早高院・日比谷・国立・八王子東などの難関校クラスを担当。
そこでは、教える側の技術・ノウハウの向上が合否結果に直結するため、
指導法の研究にどんどん没頭していきました。
担当の子どもたちが御三家に合格していくのは、
大変嬉しくもありやりがいもあったのですが、
他方では、
学生時代に家庭教師をお願いされていた、
教育的弱者の存在も非常に気になっておりました。
親の暴力など家庭環境に恵まれなかったり、
いじめなどで友達関係に恵まれなかったり、
自分で選択できない条件下で、
苦しみにあえぐ子どもたちがなんと多いことか。
人間は環境によって相対的に変化するものではありますが、
「学びたくても学べない環境にある人に、
一体何ができるのか…」
「逆境の中から抜け出したいという意欲がある人に、
一体何ができるのか...」
みらい塾開塾は、
そのような思いが原点となっております。
現在でも、さまざまな子どもたちの夢の実現を、
全力で応援し続ける塾となっております。
塾長
奥平 高広
Okuhira Takahiro
講師
藤本 繁紀
Fujimoto Shigetoshi
講師
長峰 正浩
Nagamine Masahiro
講師
浜﨑 達也
Hamasaki Tatsuya
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